本体5,400円+税
ISBN | 9784750351612 |
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判型・ページ数 | A5・520ページ |
出版年月日 | 2021/03/11 |
フォーマット | 価格 |
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単行本 | 5,400円+税 |
電子書籍 | 4,320円+税 |
世界文学としての〈震災後文学〉 (単行本)
あの日から10年。大惨事を経て、それでも新たな力を獲得する「世界文学」としての視座から、あの経験の現在性を問い返す。
木村 朗子 編著
アンヌ・バヤール=坂井 編著
沼野 充義 著
いとう せいこう 著
木村 友祐 著
ダニエル・C・オニール 著
藤原 団 著
由尾 瞳 著
樋口 良澄 著
バーバラ・ガイルホン 著
パヴォーネ・キャーラ 著
金 昇渊 著
ベルナール・バヌン 著
金 ヨンロン 著
岩田=ワイケナント・クリスティーナ 著
新井 高子 著
堀井 一摩 著
村上 克尚 著
フィリッポ・チェルヴェッリ 著
マルゲリータ・ロング 著
レイチェル・ディニット 著
アンヌ・バヤール=坂井 編著
沼野 充義 著
いとう せいこう 著
木村 友祐 著
ダニエル・C・オニール 著
藤原 団 著
由尾 瞳 著
樋口 良澄 著
バーバラ・ガイルホン 著
パヴォーネ・キャーラ 著
金 昇渊 著
ベルナール・バヌン 著
金 ヨンロン 著
岩田=ワイケナント・クリスティーナ 著
新井 高子 著
堀井 一摩 著
村上 克尚 著
フィリッポ・チェルヴェッリ 著
マルゲリータ・ロング 著
レイチェル・ディニット 著
あれから10年。世界には、あの日と向きあい続ける文学者たちがいる。3.11によって文学の何が変わり、震災前はいかに読み替えられうるのか。大惨事を経て、それでも新たな力を獲得する「世界文学」としての視座から、あの経験の現在性を問い返す。
総論 震災後文学の現在地[木村朗子]
1 世界がいっせいに反応した
2 震災後文学とはフクシマ以後の文学である
3 海外の日本文学研究者たち
4 震災後文学の現在地
5 本書の構成
〈特別寄稿Ⅰ〉 沼野充義 「あの日」を越えて――私たちはみな震災後への亡命者である
私は恥ずかしい
あの時、一瞬だけ私たちはいい人になった
すべてが3・11以前と同じようには読めなくなった
しかし、日本だけを特権化してはならない
3・11後の世界に「神様」はいるのか?
私は誇らしい
二日間の討議の最後に
第Ⅰ部 ことばと身体
第1章 イキモノをキュレートすること――川上弘美「神様2011」・多和田葉子『雪の練習生』を読む[ダニエル・C・オニール]
はじめに
1 「神様2011」におけるクマの指し示すもの
2 多和田葉子『雪の練習生』における人間と動物の関係
3 クヌートにまつわる付記
第2章 多和田葉子の震災後小説における暗示としての震災――震災後文学の読者論のために[藤原団]
はじめに
1 日付と場所
2 放射性物質、原発、汚染、そして海
おわりに
第3章 災厄と日常――震災後文学としての川上未映子作品[由尾瞳]
はじめに
1 二〇一一年「三月の毛糸」――「まえのひ」という詩的概念
2 二〇一七年「ウィステリアと三人の女たち」――記憶の復興
おわりに
第4章 見たものを覚えていることができる/忘れることができる――飴屋法水『ブルーシート』における当事者性[樋口良澄]
はじめに
1 演劇と震災
2 『ブルーシート』制作の経緯
3 当事者性と演劇性
4 関係としての当事者性
5 「私」という他者
6 生き残った世界
第5章 現実を変容させるフィクション――岡田利規の演劇からこれからの日本社会を読み解く[バーバラ・ガイルホン]
はじめに
1 岡田利規について、そして彼の演劇について
2 『Unable to see』の直接性
3 『現在地』が描いたこと
おわりに
第6章 身体とテキスト・「身体文学」としてのいとうせいこう作品[キャーラ・パヴォーネ]
はじめに
1 「身体文学」とはなにか
2 『鼻に挟み撃ち』をめぐって
3 『小説禁止令に賛同する』をめぐって
おわりに
〈特別寄稿Ⅱ〉 いとうせいこう 『想像ラジオ』を講義する
小説を書けなかった日々のこと
リズムがことばを呼び出していった
『想像ラジオ』の裏にある二人の死
小説の構造について
第Ⅱ部 歴史と記憶
第7章 〈移動〉しながら想像するという彷徨――多和田葉子『雪の練習生』の向き合い方[金昇渊]
1 ポスト3・11と「移動」をめぐる問題系
2 多和田文学における〈移動〉の射程――「越境」「エクソフォニー」再考
3 「わたし――ホッキョクグマ」という表象――存在の乱反射
4 ポスト3・11と〈わたし〉の結び目
第8章 フクシマ――多和田葉子のドイツ語作品における、一つの「転換」?[ベルナール・バヌン[吉田安岐訳]]
はじめに
1 『揺れる日々の日記』の出版
2 ドイツの社会(主義)化
3 『フクシマ24』
4 散りばめられた時
第9章 水と3・11――連鎖する読み、その接続可能性をめぐって[金ヨンロン]
1 太宰治「海」が置かれた場所
2 山形から広島へ
3 ヒロシマからフクシマへ
4 3・11以後、対抗と再生をもとめて
5 変質させられた「ウミ」と送られ続ける「ミズ」の手紙
第10章 震災後文学における東北の声――木村友祐作品を読む[木村朗子]
はじめに
1 明るさから怒りのほうへ
2 よそ者としての東北の叫び
第11章 糞泥まみれのいのち――キャピタロセン批判として木村友祐の「聖地Cs」を読む[クリスティーナ・岩田=ワイケナント]
はじめに
1 キャピタロセンとは何か
2 氾濫から反乱へ――「抵抗」というモチーフを読む
3 視座を変えること、そして東京の周縁化
4 「命」と「生活」と糞泥まみれのいのち
5 使い捨てのいのち――「資源」という論理を問う
6 ジェンダー化された危険、身をもっての抗議
おわりに
第12章 声の豊穣――震災後文学が拓く東北弁の可能性[新井高子]
1 啄木と東北弁
2 東北弁文学のあしどり
3 震災後の東北弁文学
4 東北弁から見えてくるもの
5 ふるさとの訛なつかし
〈特別寄稿Ⅲ〉 木村友祐 生きものとして狂うこと
痛ましさ、悔しさと後悔
未知の次元に入る
見た現実を矮小化しないこと
文学はだれに寄り添うのか
一匹の、いのちの叫び
第Ⅲ部 抑圧と解放
第13章 ネーションとドメスティケーション――大杉栄と金子文子の動物論[堀井一摩]
1 「鎖」という「絆」――大杉栄の「家畜」と「野獣」
2 ホームレスとホームシックネス――金子文子という迷犬
おわりに
第14章 生産的でない未来のために――小林エリカ「トリニティ、トリニティ、トリニティ」における震災とオリンピック[村上克尚]
はじめに
1 火をめぐる歴史
2 不可視化の暴力
3 生産性という呪い
おわりに
第15章 原発のなかの動物たち――高橋源一郎の3・11後の文学を今日的に再考する[フィリッポ・チェルヴェッリ]
はじめに
1 即時性と現在主義
2 『恋する原発』をめぐって
3 『動物記』を読む
おわりに――原発のなかの動物たち
第16章 人間家族より、多種と連れ立て!――木村友祐作品と小林エリカ作品の母系をたどる[マルゲリータ・ロング[小田透訳]]
はじめに
1 希望の砦における生政治
2 西野広美の最初のモー――生政治の定義する「命」
3 西野広美の二度目のモー――多種と連れ立つこととしての「命〉」
4 小林エリカの四世代の女たち
5 「放射脳ママ」がスグリと卵を料理する――小林エリカと生政治の対話
6 曾祖母の崩壊――人間の「正気」と動物の強度のあいだの分裂
7 ママの「裂け目たどり」――孕んで応援しよう!
第17章 汚染の言説としての「狂気」――チェルノブイリとフクシマにおける汚染のナラティブをめぐって[レイチェル・ディニット]
はじめに
1 木村友祐『イサの氾濫』をめぐって
2 木村友祐『聖地Cs』をめぐって
3 アリナ・ブロンスキー『ババ・ドゥーニャの最後の愛』をめぐって
4 鎌仲ひとみ監督『小さき声のカノン――選択する人々』をめぐって
終章 娯楽小説としての震災後小説、または認められざる3・11後文学について[アンヌ・バヤール=坂井]
はじめに
1 震災後文学と直木賞
2 震災をいかに表象するか
3 娯楽小説はいかに震災を表象し得るか――シリーズ物の場合
4 娯楽小説はいかに震災を表象し得るか――探偵小説の場合
おわりに――震災後文学、娯楽小説とメモリー
あとがきにかえて[アンヌ・バヤール=坂井]
1 世界がいっせいに反応した
2 震災後文学とはフクシマ以後の文学である
3 海外の日本文学研究者たち
4 震災後文学の現在地
5 本書の構成
〈特別寄稿Ⅰ〉 沼野充義 「あの日」を越えて――私たちはみな震災後への亡命者である
私は恥ずかしい
あの時、一瞬だけ私たちはいい人になった
すべてが3・11以前と同じようには読めなくなった
しかし、日本だけを特権化してはならない
3・11後の世界に「神様」はいるのか?
私は誇らしい
二日間の討議の最後に
第Ⅰ部 ことばと身体
第1章 イキモノをキュレートすること――川上弘美「神様2011」・多和田葉子『雪の練習生』を読む[ダニエル・C・オニール]
はじめに
1 「神様2011」におけるクマの指し示すもの
2 多和田葉子『雪の練習生』における人間と動物の関係
3 クヌートにまつわる付記
第2章 多和田葉子の震災後小説における暗示としての震災――震災後文学の読者論のために[藤原団]
はじめに
1 日付と場所
2 放射性物質、原発、汚染、そして海
おわりに
第3章 災厄と日常――震災後文学としての川上未映子作品[由尾瞳]
はじめに
1 二〇一一年「三月の毛糸」――「まえのひ」という詩的概念
2 二〇一七年「ウィステリアと三人の女たち」――記憶の復興
おわりに
第4章 見たものを覚えていることができる/忘れることができる――飴屋法水『ブルーシート』における当事者性[樋口良澄]
はじめに
1 演劇と震災
2 『ブルーシート』制作の経緯
3 当事者性と演劇性
4 関係としての当事者性
5 「私」という他者
6 生き残った世界
第5章 現実を変容させるフィクション――岡田利規の演劇からこれからの日本社会を読み解く[バーバラ・ガイルホン]
はじめに
1 岡田利規について、そして彼の演劇について
2 『Unable to see』の直接性
3 『現在地』が描いたこと
おわりに
第6章 身体とテキスト・「身体文学」としてのいとうせいこう作品[キャーラ・パヴォーネ]
はじめに
1 「身体文学」とはなにか
2 『鼻に挟み撃ち』をめぐって
3 『小説禁止令に賛同する』をめぐって
おわりに
〈特別寄稿Ⅱ〉 いとうせいこう 『想像ラジオ』を講義する
小説を書けなかった日々のこと
リズムがことばを呼び出していった
『想像ラジオ』の裏にある二人の死
小説の構造について
第Ⅱ部 歴史と記憶
第7章 〈移動〉しながら想像するという彷徨――多和田葉子『雪の練習生』の向き合い方[金昇渊]
1 ポスト3・11と「移動」をめぐる問題系
2 多和田文学における〈移動〉の射程――「越境」「エクソフォニー」再考
3 「わたし――ホッキョクグマ」という表象――存在の乱反射
4 ポスト3・11と〈わたし〉の結び目
第8章 フクシマ――多和田葉子のドイツ語作品における、一つの「転換」?[ベルナール・バヌン[吉田安岐訳]]
はじめに
1 『揺れる日々の日記』の出版
2 ドイツの社会(主義)化
3 『フクシマ24』
4 散りばめられた時
第9章 水と3・11――連鎖する読み、その接続可能性をめぐって[金ヨンロン]
1 太宰治「海」が置かれた場所
2 山形から広島へ
3 ヒロシマからフクシマへ
4 3・11以後、対抗と再生をもとめて
5 変質させられた「ウミ」と送られ続ける「ミズ」の手紙
第10章 震災後文学における東北の声――木村友祐作品を読む[木村朗子]
はじめに
1 明るさから怒りのほうへ
2 よそ者としての東北の叫び
第11章 糞泥まみれのいのち――キャピタロセン批判として木村友祐の「聖地Cs」を読む[クリスティーナ・岩田=ワイケナント]
はじめに
1 キャピタロセンとは何か
2 氾濫から反乱へ――「抵抗」というモチーフを読む
3 視座を変えること、そして東京の周縁化
4 「命」と「生活」と糞泥まみれのいのち
5 使い捨てのいのち――「資源」という論理を問う
6 ジェンダー化された危険、身をもっての抗議
おわりに
第12章 声の豊穣――震災後文学が拓く東北弁の可能性[新井高子]
1 啄木と東北弁
2 東北弁文学のあしどり
3 震災後の東北弁文学
4 東北弁から見えてくるもの
5 ふるさとの訛なつかし
〈特別寄稿Ⅲ〉 木村友祐 生きものとして狂うこと
痛ましさ、悔しさと後悔
未知の次元に入る
見た現実を矮小化しないこと
文学はだれに寄り添うのか
一匹の、いのちの叫び
第Ⅲ部 抑圧と解放
第13章 ネーションとドメスティケーション――大杉栄と金子文子の動物論[堀井一摩]
1 「鎖」という「絆」――大杉栄の「家畜」と「野獣」
2 ホームレスとホームシックネス――金子文子という迷犬
おわりに
第14章 生産的でない未来のために――小林エリカ「トリニティ、トリニティ、トリニティ」における震災とオリンピック[村上克尚]
はじめに
1 火をめぐる歴史
2 不可視化の暴力
3 生産性という呪い
おわりに
第15章 原発のなかの動物たち――高橋源一郎の3・11後の文学を今日的に再考する[フィリッポ・チェルヴェッリ]
はじめに
1 即時性と現在主義
2 『恋する原発』をめぐって
3 『動物記』を読む
おわりに――原発のなかの動物たち
第16章 人間家族より、多種と連れ立て!――木村友祐作品と小林エリカ作品の母系をたどる[マルゲリータ・ロング[小田透訳]]
はじめに
1 希望の砦における生政治
2 西野広美の最初のモー――生政治の定義する「命」
3 西野広美の二度目のモー――多種と連れ立つこととしての「命〉」
4 小林エリカの四世代の女たち
5 「放射脳ママ」がスグリと卵を料理する――小林エリカと生政治の対話
6 曾祖母の崩壊――人間の「正気」と動物の強度のあいだの分裂
7 ママの「裂け目たどり」――孕んで応援しよう!
第17章 汚染の言説としての「狂気」――チェルノブイリとフクシマにおける汚染のナラティブをめぐって[レイチェル・ディニット]
はじめに
1 木村友祐『イサの氾濫』をめぐって
2 木村友祐『聖地Cs』をめぐって
3 アリナ・ブロンスキー『ババ・ドゥーニャの最後の愛』をめぐって
4 鎌仲ひとみ監督『小さき声のカノン――選択する人々』をめぐって
終章 娯楽小説としての震災後小説、または認められざる3・11後文学について[アンヌ・バヤール=坂井]
はじめに
1 震災後文学と直木賞
2 震災をいかに表象するか
3 娯楽小説はいかに震災を表象し得るか――シリーズ物の場合
4 娯楽小説はいかに震災を表象し得るか――探偵小説の場合
おわりに――震災後文学、娯楽小説とメモリー
あとがきにかえて[アンヌ・バヤール=坂井]
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