新刊! 写真集「芸人 マルセ太郎」

 今年1月22日に亡くなったマルセ太郎さんの写真集が出ました。芸人マルセ太郎の舞台から素顔までを活写した最新の記録であるとともに、これまでの公演の全データを収録・解説した「マルセ資料館」、また今日までのマルセの軌跡を克明に辿る「詳細年譜」を付した貴重な写真記録です。ぜひ、お買い求めください。

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 このコーナーでは、今回の写真集に収められている「マルセさんへのメッセージ」および「マルセ語録」の一部を、角田武氏撮影の写真とともにお楽しみいただけます。

  ● マルセさんへのメッセージをよむ
  ● マルセ語録をよむ
  ● マルセ関連のリンク集
  ● 関連書籍

この写真集のために永六輔さんから帯を頂きました

「また原点の猿を演りたい」と、
マルセは去年、僕に話していたんです。
ある猿山に夕陽をみて涙ぐむ猿がいると話したら
「それを演ろう」と言っていました。
それで、その段取りをつけに、
犬山のモンキーセンターに行っていた時です。
マルセの訃報が僕に届きました。

マルセさんへのメッセージ


■本物しか認めない芸人   森 正(憲法学者)

雷に撃たれたような知的衝撃、そんな経験は、一生に何回もあるものではない。


■正しい人   山田洋次(映画監督)

マルセ太郎が眼をギョロギョロさせながら舞台に登場する。観客はもうそれだけで楽しくなる。


■「すごすぎる!」   竹中直人(俳優)

マルセさんはやっぱり“顔”だ。あの“顔”はすごすぎる。


■「動く壁」が見えた人   小栗康平(映画監督)

モノローグで語られることは、どこまでいっても語る人の悲しみから逃れられない。マルセさんはそのことをよく分かっている。


■比類なき芸人   朴 慶南(エッセイスト)

「比類なき」という表現があるが、マルセ太郎さんに、これほどピッタリの言葉はないと思う。


■白州・闇・リアリジュム   斎藤 朋(ライター、舞台制作者)

「違うー!」と生命を賭けて遺していった段平の叫びは、マルセ太郎のメッセージそのものと重なりながら私達の心で木霊している。


■十二年後の照れ笑い   永井寛孝(舞台俳優)

人間観察なのか分析力なのか、マルセさんの創りだす笑いは骨に響く。


■『Xデー』マルセ太郎編   趙 博(ミュージシャン)

マルセ太郎は、万全を期して堂々と逝くだろう。私淑する僕は、その瞬間に臨む準備を怠らない。


■頭寒足熱の人   古舘伊知郎(アナウンサー)

マルセさんは時間を気にしない。「時の支配」から解放されてる領分をもっている人。


■高校時代のマルセ太郎   大塚善章(ジャズピアニスト)

初対面の印象は兎に角「キ・ザ」


■わたしのマルセ病   並木成男(「マルセ中毒の会」主宰者)

今、みんなに言いたい「誰でもなれる、マルセ中毒」なのだが、未だ、マルセを知らないあなた、「あんた、不幸だよー」


■哲人芸人   梁 石日(作家)

マルセ太郎さんと私は不思議な因縁でつながっている。


■ジァン・ジァンで開花した芸人   永 六輔

僕らにとっては、演芸場のマルセ太郎があのジァン・ジァンに出る、という状況の変化が、まず刺激的でした。ジァン・ジァンの舞台は、上手、下手の袖も幕もない、欠点だらけの小さな劇場でしたが、多くの人が愛し、集い、たくさんの表現者が育てられてきたところです。もちろん誰もが似合う空間ではないのですが、マルセさんにはピタリとはまっていました。



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マルセ語録


氷山の一角という。
 底に沈んでいる部分を感じさせる、
 それが芸なのだ。


神戸で校門圧死事件というのがあった。
 お寺や教会と同じように、学校は門を閉めてはいけないところなんだ。


英語のBe動詞は存在を意味する。アイ・アム。わたしは存在する。
 誰かと比較してではなく、このBe動詞への自信を持つことが大切である。
 そして他の存在も認めよう。ユー・アー。


独創性というのは、案外無器用な人が選ぶ道なのである。


芸術性なんてどうでもいい。面白けりゃいいんだ
 というのに限って、ちっとも面白くない。


記憶は弱者にあり


せめてよき外野席の客でありたい。世の中には、
 弱い人のために犠牲をいとわず、勇気をもって闘っている少数の人たちがいる。
 彼らを孤独にさせてはならない。外野席から声援を送ろう。

マルセ太郎プロフィール
 1933年大阪市生まれ。54年新劇俳優を夢みて上京。パントマイムの大家、マルセル・マルソー(仏)の舞台に感動、日劇ミュージックホールにパントマイムでデビューし芸人となる。その後、パントマイムを取り入れた漫談で、浅草演芸場や全国各地のキャバレーなどをまわり、芸を磨く。作家の色川武大をはじめ玄人の間では評判が高かったが、テレビむきではなく、売れない日々が続いた。85年、放送タレントの永六輔との出会いをきっかけに、自身の想いを織り交ぜながら映画をまるまる一本語り演じる「スクリーンのない映画館」という一人舞台を開拓。さらに93年からは、新劇の役者らとマルセカンパニーを結成し、喜劇芝居の脚本・演出を手がけ、これまで11本の公演を成功させた。95年から肝臓ガンを患っているが、たび重なる再発とむきあいながら強靭な精神力で活動をつづけている。
しかし残念ながら2001年1月22日、入院先の病院で容体が急変、マルセ太郎さんは帰らぬ人となった。




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マルセ関連のリンク

マルセ中毒の会 http://www.ppn.co.jp/saru/index.html

ミュージシャン趙博さんのHP。
 本書にもメッセージをお寄せ頂いている趙博さんは、この春舞台『イカイノ物語2001』でマルセ太郎さんの代役にいどみました。
  http://www.asahi-net.or.jp/~cu7y-oikw/paggie.htm

マルセ太郎長女・梨花さんによる追悼文「父・マルセ太郎に芸人魂を見た」
『中央公論』4月号に掲載されています。ぜひご一読ください。

 「人生を芝居にたとえるなら、下りてくる幕を
 しっかり見つめていたい」
 いま父の一つ一つの言葉が、実感として伝わってきます


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