No.1 二つの「障害学」
連載を始めるにあたって、まずはこの連載がどういった感じですすんでいくかについて簡単に説明しておきたいと思います。とりあえず、連載は二つのパートによって構成される予定です。今回を含め、スタートから数回のあいだは、「社会モデル」「障害者文化」その他、『障害学への招待』でも幾度となく出てきた障害学の基礎用語や考え方について説明していこうと思います。これがパート1。その後は、そうした基本概念や考え方をふまえつつ、私たちが日々経験し、あるいは見聞きしている事柄について、実際に障害学していければと考えています。パート1が基礎編・入門編だとしたら、パート2はいわば応用編・実践編ということになるでしょうか。
で、さっそく本論に入っていくこととしましょう。まず、のっけからややこしい話をしなければならないのですが、現在、日本には、まったく異なる性格をもつ二つの「障害学」が存在しています。ひとつは、リハビリテーション医学や障害児教育学の延長線上に提唱された学問としての障害学です。たとえば、上田敏さんは、「疾患」の研究ではない「障害」そのものの研究は医学においてもきわめて新しいものであり、リハビリテーション医学ではそれを「障害学」と呼んでいる」と記しています(上田敏『リハビリテーションを考える』青木書店,1983年)。こうした意味で、「障害学」の語をタイトルに冠した本も、書店の店頭には並んでいるということですね。
もうひとつは、いうまでもなく、英国と米国で確立され、日本でも独自な展開を遂げてきたディスアビリティ・スタディーズ、すなわち、私たちの障害学です。長瀬修さんはこれを、「障害を分析の切り口として確立する学問、思想、知の運動である。それは従来の医療、社会福祉の視点から障害、障害者をとらえるものではない。個人のインペアメント(損傷)の治療を至上命題とする医療、「障害者すなわち障害者福祉の対象」という枠組みからの脱却を目指す試みである。そして、障害独自の視点の確立を指向し、文化としての障害、障害者として生きる価値に着目する。」(長瀬修・石川准編『障害学への招待』明石書店,1999年)と定義しています。前者が、障害者を差別し抑圧する社会のしくみを根本から問いなおすというよりは、医療や教育・福祉の拡充・刷新を通じて、主流社会への障害者の受け入れを促進しようとするのに対し、後者では、医療や教育・福祉の大本にある人間観や社会観をも含め、障害者への差別や抑圧を生み出す社会のしくみそのものの問い返しこそがめざされます。リハビリテーションや教育を通じて障害者の側が変わるのではなく、ありのままの障害者を受け入れようとしない社会の側をこそ変えるべきだとディスアビリティ・スタディーズは主張するのです。「本家○○」と「元祖○○」といった感じで、本家争いをするつもりは毛頭ありませんし、いずれもが「障害学」を名のったって別にかまわないわけですが、そういったふうに、まったく別個な内容をもつ学問が、ともに「障害学」という名を名のっているという事実は知っておいていただければと思います。
とはいえ、ここに記したような抽象的な説明では、どこがどうちがうのかいまひとつわからないというのが正直なところかもしれませんね。次回取り上げようと考えている医学モデルと社会モデルの対立というテーマは、二つの「障害学」のちがいを理解するにあたっても、適当な手がかりになるかと思います。上田さんたちのいう障害学を含め、これまで障害について語られてきた大半のことばは、医学モデルとよばれる考え方かそれに近いところから発せられてきました。これに対し、私たちの障害学は社会モデルという考え方を基本におきます。いわば、社会モデルは、私たちの障害学と、既存の障害研究をわかつ試金石ということができるでしょう。次回は、具体的な事例を上げつつ、この社会モデルについて説明してみたいと思います。
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