本体1,200円+税
ISBN | 9784750344898 |
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判型・ページ数 | 4-6・344ページ |
出版年月日 | 2017/03/11 |
南三陸発! 志津川小学校避難所
59日間の物語 ~未来へのメッセージ~
未曾有の大災害・東日本大震災発生後、南三陸町・志津川では1,000人以上もの人が志津川小学校に避難した。避難所生活はどのように行われたのか? なぜ、コミュニティの運営がうまくいったのか? 震災発生から避難所解散までの59日を、体験者の聞き取りと膨大なメモや資料を元に一日ごとに再現。避難所体験の記録と事実を、今後の災害予防・支援、避難所生活の教訓、そして未来への提言としてまとめあげた貴重なドキュメンタリー。
登場人物
第1章 志津川小学校避難所 59日間の物語
1――混乱期
3月11日[第1日] 津波が町を襲った
・地震、そして津波
・避難の道すじ
・最初の寒い夜
3月12日[第2日] おにぎりが来た
3月13日[第3日] サンマの煙があがった
2――初動期
3月14日[第4日] 自治会、結成!
3月15日[第5日] 土足はやめましょう!
3月16日[第6日] 事務局の女たち、施設部の男たち
3月17日[第7日] 外の力を借りて――自衛隊と医療チーム
3月18日[第8日] 救援物資をめぐって
3月19日[第9日] 行政には頼らない
3――展開期
3月20日[第10日] カップラーメンの餞別
3月21日[第11日] 避難所と学校 子どもたちのために
3月22日[第12日] マスコミの功罪
3月23日[第13日] ありがとう、自衛隊
3月24日[第14日] お風呂事件
3月25日[第15日] ボランティア中学生の活躍
3月26日[第16日] 関西からすごいボランティアがやってきた!
3月27日[第17日] さあ、大掃除!
3月28日[第18日] 特別な卒業式
3月29日[第19日] 避難所の日常
3月30日[第20日] あおぞら教室、スタート
3月31日[第21日] 体育館が生き物に見えた
4月1日[第22日] 町の人事異動
4月2日[第23日] 「東日本大震災」に決定
4月3日[第24日] シンタロー副会長、ノロに倒れる
4月4日[第25日] 食器の使い回し禁止
4月5日[第26日] ノロ感染 ピークに
4月6日[第27日] 避難所に臨時郵便ポストオープン
4月7日[第28日] 児童数の減少
4月8日[第29日] 最大の余震
4月9日[第30日] ドラム缶を囲んで
4月10日[第31日] 最初の1か月
4――収束期
4月11日[第32日] 亡くなった人たちとともに
4月12日[第33日] ノロ終息
4月13日[第34日] ボランティア運営
4月14日[第35日] 仮設住宅の情報
4月15日[第36日] 理科室の整理
4月16日[第37日] 避難所で結婚式を
4月17日[第38日] ドッジボール・綱引き大会
4月18日[第39日] 赤ひげ先生の話
4月19日[第40日] 福興市計画
4月20日[第41日] 物資担当者のアイデア
4月21日[第42日] パーティションは要らない
4月22日[第43日] 子ども用仮設トイレ
4月23日[第44日] 新しいご近所さん
4月24日[第45日] 仮設住宅の当選発表
4月25日[第46日] くらしの情報
4月26日[第47日] そうだ、花見をしよう!
4月27日[第48日] 避難所解散に向けて
4月28日[第49日] あおぞら教室終了
4月29日[第50日] さあ、福興市!
4月30日[第51日] 福興市にEXILEがやってきた
5月1日[第52日] おめでとう、赤ちゃん誕生!
5月2日[第53日] 周辺住宅の支援
5月3日[第54日] 救援物資の最終配給
5月4日[第55日] 自衛隊のお別れ会
5月5日[第56日] 近くだからいつでも会えるね
5月6日[第57日] トイレの水の確保
5月7日[第58日] 2日がかりの大掃除
5月8日[第59日] さよなら、避難所
第2章 志津川小学校避難所から学べること
はじめに──コミュニティとしての避難所
1 地域の人間関係を重要視する
2 避難所の民主的運営
3 調和のとれたリーダーたち
4 ドラム缶の役割
5 「災害ユートピア」の出現
6 おわりに──図表 志津川小学校から学べること
第3章 志津川小学校避難所からの5年
1 南三陸町の5年
2 商店街の人びと
3 若い世代の人びと
4 地域復興事業に関わる人びと
5 南三陸町の未来へ
資料
資料1 震災前の南三陸
資料2 避難所の避難者数推移
資料3 阿部さんのノート
資料4 洋服の登録証
資料5 初期の志津川小学校避難所の配置図
メッセージ
あとがき
編者紹介
第1章 志津川小学校避難所 59日間の物語
1――混乱期
3月11日[第1日] 津波が町を襲った
・地震、そして津波
・避難の道すじ
・最初の寒い夜
3月12日[第2日] おにぎりが来た
3月13日[第3日] サンマの煙があがった
2――初動期
3月14日[第4日] 自治会、結成!
3月15日[第5日] 土足はやめましょう!
3月16日[第6日] 事務局の女たち、施設部の男たち
3月17日[第7日] 外の力を借りて――自衛隊と医療チーム
3月18日[第8日] 救援物資をめぐって
3月19日[第9日] 行政には頼らない
3――展開期
3月20日[第10日] カップラーメンの餞別
3月21日[第11日] 避難所と学校 子どもたちのために
3月22日[第12日] マスコミの功罪
3月23日[第13日] ありがとう、自衛隊
3月24日[第14日] お風呂事件
3月25日[第15日] ボランティア中学生の活躍
3月26日[第16日] 関西からすごいボランティアがやってきた!
3月27日[第17日] さあ、大掃除!
3月28日[第18日] 特別な卒業式
3月29日[第19日] 避難所の日常
3月30日[第20日] あおぞら教室、スタート
3月31日[第21日] 体育館が生き物に見えた
4月1日[第22日] 町の人事異動
4月2日[第23日] 「東日本大震災」に決定
4月3日[第24日] シンタロー副会長、ノロに倒れる
4月4日[第25日] 食器の使い回し禁止
4月5日[第26日] ノロ感染 ピークに
4月6日[第27日] 避難所に臨時郵便ポストオープン
4月7日[第28日] 児童数の減少
4月8日[第29日] 最大の余震
4月9日[第30日] ドラム缶を囲んで
4月10日[第31日] 最初の1か月
4――収束期
4月11日[第32日] 亡くなった人たちとともに
4月12日[第33日] ノロ終息
4月13日[第34日] ボランティア運営
4月14日[第35日] 仮設住宅の情報
4月15日[第36日] 理科室の整理
4月16日[第37日] 避難所で結婚式を
4月17日[第38日] ドッジボール・綱引き大会
4月18日[第39日] 赤ひげ先生の話
4月19日[第40日] 福興市計画
4月20日[第41日] 物資担当者のアイデア
4月21日[第42日] パーティションは要らない
4月22日[第43日] 子ども用仮設トイレ
4月23日[第44日] 新しいご近所さん
4月24日[第45日] 仮設住宅の当選発表
4月25日[第46日] くらしの情報
4月26日[第47日] そうだ、花見をしよう!
4月27日[第48日] 避難所解散に向けて
4月28日[第49日] あおぞら教室終了
4月29日[第50日] さあ、福興市!
4月30日[第51日] 福興市にEXILEがやってきた
5月1日[第52日] おめでとう、赤ちゃん誕生!
5月2日[第53日] 周辺住宅の支援
5月3日[第54日] 救援物資の最終配給
5月4日[第55日] 自衛隊のお別れ会
5月5日[第56日] 近くだからいつでも会えるね
5月6日[第57日] トイレの水の確保
5月7日[第58日] 2日がかりの大掃除
5月8日[第59日] さよなら、避難所
第2章 志津川小学校避難所から学べること
はじめに──コミュニティとしての避難所
1 地域の人間関係を重要視する
2 避難所の民主的運営
3 調和のとれたリーダーたち
4 ドラム缶の役割
5 「災害ユートピア」の出現
6 おわりに──図表 志津川小学校から学べること
第3章 志津川小学校避難所からの5年
1 南三陸町の5年
2 商店街の人びと
3 若い世代の人びと
4 地域復興事業に関わる人びと
5 南三陸町の未来へ
資料
資料1 震災前の南三陸
資料2 避難所の避難者数推移
資料3 阿部さんのノート
資料4 洋服の登録証
資料5 初期の志津川小学校避難所の配置図
メッセージ
あとがき
編者紹介
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